ブラバンの話②

東京朝高のブラバンは別名「총련중앙직속악단(総聯中央直属楽団)」とも呼ばれます。当時総聯の大会や行事が山ほどあり、その度に呼ばれては「김일성장군의 노래 」「만수무강 」を演奏します。たまに「애국가 」も。

授業中でも、この時ばかりは堂々と抜けられる優越感はありました。お昼時には弁当を貰えるんです。確か「鮒忠」だったと思いますが、もれなくキムチとむし豚が入ってました。(笑)

当時は総聯も資金が潤沢だったのか、年に何回か大きな大会の後には、出張屋台の様なイベントもありました。それも京王プラザ、帝国ホテル、プリンスホテル…錚々たる一流ホテルの屋台が文化会館に集います。サーロイン、お寿司、高級バイキング、色鮮やかなスイーツ…贅沢なひと時です。学生の身分で分を超えた料理は体に毒です(笑)食べ過ぎてお腹こわす人もいましたから…

そう言うイベントはもちろん文化公演をやったご褒美なんですが、その練習が大変なんです。本来の練習もしなければならない上に公演練習が重なる訳ですから…。楽団(ブラバン、民管)は舞台上の演奏だけではなく、舞台下で舞踊の伴奏(最低でも児童、学生、一般の3曲)があり、合唱曲が何曲か、そして最後は皆さんご存知の「만풍년」で締める。全て楽団が演奏するんです。

でも「만풍년」以外は全部新曲。その公演の為に作られたオリジナルなので一から練習なんです。もう慣れっこになりましたが、普通新曲を披露するのには少なくても何週間もかけるのですが、3日位で完成まで持って行く…そうでないと本当に間に合わないんです。そんなことは良くある事で、楽譜が出来てこなかったり、修正があったり…本当に時間がなかった。

でも大会の日にちは決まっている。なので朝から晩まで練習しないと追いつかなかったんです。でもそこには「総聯中央直属楽団」だと言う誇りとプライドが大きな力でした。お陰で初見演奏(見た事ない楽譜を貰って直ぐに演奏する事、大変です)もこなせる様になるし、自分の技術も高める事が出来ました。

それ以外にも、시위행진の先頭(東京のブラバンはデモ隊の先頭なんですよ)で楽器を吹いたり(年2回)中高運動会ばかりではなく中学の運動会に動員されたりと、本当に忙しい毎日でした…

あの当時の東京(今でもそうだと思いますが)は全ての소조が誇りと自負を持って取り組んでいました。소조に燃えてた人々それぞれ、楽しかった事、苦しかった事、目標を達成した喜び、負けた悔しさ、引退する寂しさ等様々な思い出があると思います。

これを機にあの時の熱い気持ちを思い出してくれたら嬉しいです。秋の同窓会ではそう言った思い出話もできるんじゃないかな?

皆さん!同窓会でお会いしましょう(^^)

4 COMMENTS

応援者の一人

いつもビシッとしてカッコよく演奏している姿しか記憶してなかった。けど目に見えない所で涙ぐましい努力と東京朝高のプライドに耐えながら、また総聯お抱え楽団?としての期待を胸にその信頼を裏切らないため日々頑張る部員の汗💦があったから今の吹奏楽部があったんだと改めて思います。またそういうスゴーイ奴らと共に歩んで来たという誇りが湧いて来ました。個人的にはこういう投稿もっと出て欲しいな。同窓会の投稿もふざける投稿もいいけど、努力していた裏話やエピソードなど私が知らなかった事実や出来事などが、非常に参考にまた糧になってます。投稿者くんありがとう。

匿名くん。

いや〜ブラバンの大変さ、特に一年生の苦悩はサッカー部と双璧をなす凄さがあったのは認識してましたがここまでリアルな裏側を知ると本当に大変だったんだね。お疲れ様でした!ただいつも合点がいかなかったのは、あんなに高価な楽器なのに何故それを持って文化会館からブラバンの部室まで走らなくてはいけなかったの?ヒヤヒヤしながら眺めてた記憶があります。教えて!文玉仙。

あしき伝統

上級生がいるときは無条件で走る🏃 これ、学校創立と同時にできたブラバンの伝統。理由はなし。意味もなし。本人たちにもわからない。
でも、これをしないと男子が2階の教室に呼ばれて…

角川ひろし

楽器抱えてダッシュ解説ありがとうございます。そうだったんですね。あの時代は理不尽な伝統よりもブラバン、舞踊部、サッカー部問わず先ずはそこに入る事が憧れでもあったからね。どちらにしてもメンタルは相当鍛えられたと。

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