コ・ソンイ先生の思い出

「丸顔で背が小さく気の強い先生」それが彼女の初印象だった。朝大を卒業し朝高に赴任した彼女は私のクラスの担任となった。

高2の初日、先生は私に言った。「私、トンムを知ってるわよ。卒業論文でトンムのことを書いたの」(卒業論文に?)私はうれしかったが次の先生のひと言で一気に気分が沈んだ。

「初中学校の話術教育の問題点としてね」(何だ?この先生)これがコ・ソンイ先生との初めての出会いだった。

大人になりきれていない私は、この時から先生が嫌いになった。それから2年の間、反抗し遠ざけることになる。先生は何かにつけて私にチョッカイ?を出してくる。

今はそれが私への期待だと分かるが、当時はうざくてしかたなかった。高3になっても担任は変わらず、先生に対する情が湧くこともなかった。高3の秋、先生から演劇の誘いがあったが私はもちろん断った。それからまもなくして私が体育時間に首の骨を折り山田病院に入院したので結果的に断ってよかったのだろう。

教師より演劇の道に進みたかった先生は練習に没頭し、担任として私の見舞いに来ることはなかった。別に期待はしなかったが、心の中では自分のことを見てくれていると信じていたので、やはり悲しかった。

その年の終わりごろ、某撮影所を統括する人から連絡が来た。「お前、朝大受験を希望したのか?」実は私は卒業後に撮影所への就職を希望し、内定ももらっていた。

「いいえ、撮影所に入りたいです」「学校から提出された名簿にお前の名前が入ってるぞ」「え?…」私はすぐに担任に確認した。なんと先生が私の意見も聞かず勝手に名前を挙げていたのだ。

「トンムは絶対に朝大に行かなきゃダメ」
「嫌です」
「4年が無理なら2年でもいいから行きなさい」
「嫌です。私はナレーションの仕事がしたいんです!」
「だったら、なおさら朝大に行くべきなの」
「嫌です!」
「遊んでもいいから行きなさい」
「嫌なんです!!」

結局、私は先生の思惑どおりに朝大に進み、先生がやりたかった演出の道を歩んでいる。長い時を経た今、ようやく私を突き放していた意図が分かるような気がします。

今頃、空の上で「ほら見なさい」とほくそ笑んでるかしら?コ・ソンイ先生…いや、コ・ソンイ姉、本当にコマプスムニダ。そして、ごめんなさい。
11月9日に会えないけど、どうぞ、安らかにお休みください。

5 COMMENTS

mm

初めて知りました。
そんなことがあったんだね。
きっと天国で笑ってるね。
みんなそれぞれコソンイ先生に対する
想い出がいっぱい♡
この場をかりてあなたと二人で
先生に嘘をついて鎌倉に行ったこと…
謝りたいと思います。
コソンイ先生、ごめんなさい。
m(_ _)m

演劇に動員された男子

高3の冬でしたね、卒業記念かウリマル100%運動かははっきり覚えてないけど、演劇しました。実は私、その演劇に抜擢され出演したんです。その時の演劇指導の先生がコ・ソンイ先生でした。何で私が抜擢されたのか、マスクが良かったのか(笑笑)は分かりませんが(^^)
その時動員された男子達は演劇の経験は全員なかった。でも先生の演技指導と演劇にかける情熱だけは覚えてます。投稿者の記事を読んで、教師よりも演劇の道に進みたかったと言う意味がやっと分かりました。演劇好きだったんですね。一度だけの公演でもかける熱量が半端なかったですよ、公演も無事終わり達成感に浸っていると先生から朝大での公演が決まったと…。そして公演をしたんです、朝鮮大学校の講堂で全校生徒集めて。先生の後輩達にも自慢したかったんでしょうか…良い想い出として残ってます、合掌。

M

鎌倉楽しかった‼️
授業参観の日、親が来ないのをいいことに学校を二人で抜け出してチョゴリのままお弁当持って鎌倉へ直行した。
天国行って先生に会ったら二人で懺悔しよう。
あ、私は天国行けないかも(ーдー)
そんときはよろしく

こら❗私も鎌倉行きたかったよ❗
良い思い出だね⤴️😊

梅さん

チビだったけどパワーはあったね!、そうかー!そんなことが、首の骨折は覚えているよ。顔もうかんできた。天国で、懐かしんでいるよ、きっと!!!

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