サンペン

当時の日本の学生たちは「サンペン」バッジを見て朝鮮学校に通う生徒だと気づいたそうですが、そもそも「サンペン」はいつ、どのようにして生まれたのか。

その由来について2014年7月に日刊イオのGooブログに掲載されてた記事があるので拝借して、かいつまんで説明します。

マークの由来については、東京朝高の沿革史の中で明らかにされてます。誕生したのは1948年、考案したのは東京朝高の1期生の朴文侠さん(当時16歳)と美術教員だった朴周烈さん(当時20歳)の2人。

46年10月創立の同校には別のバッジが存在してました。形は四角で、中央にトラ、背景に黒と黄色の線が描かれたものでした。ただこのデザイン、見方によってはトラが檻の中に閉じ込められているように見れるという声もあり、新しいデザインに変えるべきという意見が持ち上がったそうです。学校側は48年初めに全校生徒、教員を対象にバッジの新デザインを公募することに。

1955年建設の校舎

当時、同校教員でもあり多摩造形芸術専門学校の学生でもあった朴周烈さんが住んでた下宿には、新潟から上京し東京朝中に通っていた朴文侠さんも住んでました。先生と生徒という関係でしたが歳も近く下宿先も同じということで、兄弟のように親しかったそうです。デザイン考案の件は周烈さんから文侠さんに「君も一緒に考えてくれ」と相談があり、2人による共同作業が始まります。

デザインするにあたって重視したポイントは3つ。
▼在日朝鮮人学生らしさを表現すること
▼図柄としてのバランスがいいこと
▼安定性があること

こうしてできあがったのが、3つのペン(勤勉)ハンマー(勤労)を組み合わせた、あの三角形のマーク。当初提出した図案は現在のマークと細部でいくつかの違いがあったといいます。採用された原図案はいくつか修正がほどこされ、こんにち目にするあのマークになったのです。
サンペンの3には「三千里錦繍江山、三千万朝鮮民族、三角形などさまざまな意味を込めた」といいます。

沿革史によると48年に校章として採用されたサンペンは、男子学生がかぶる帽子のマークと学生服につけるバッジに。その後、サンペンは日本各地に創立される朝鮮中高級学校にも広まり、現在に至ります。

1970年3月 二号館竣工

サンペンが刻まれた制服のボタンやバッジは長らく朝高の象徴でありました。現在も中・高級学校の男女制服やジャージ、カバンなどに刺繍やプリントがされています。

ちなみに日本の学生たちの間でもサンペンバッジが売り買いされていた、という話はよく聞きました。なぜかというと、そのバッジをつけていれば……これ以上はおおっぴらに書くような内容ではないので自粛します。

(日刊イオのGooブログ、写真は東京朝高のHP拝借しました  管理人)

また東京朝高ホームページの沿革概要にも詳しく載ってます。参照ください

http://www.t-korean.ed.jp/pg254.html

4 COMMENTS

もうおばさん

ウリハッキョの校章は東京が発祥だったのですね〜知りませんでした⁂本当に参考になります。管理人さんいつもありがとうございます。

匿名

管理人の投稿から東京朝高のホームページ拝見しました。ありがとう。

ーシンー

サンペンと聴くと학생시기を想い出しますね。そう言えば数十年前の話になりますが、会社を興す時にスリーペン商事、またはアサタカ興業、どちらかにする気でした。でも色々考えた結果やめて別名にしました。

朝高

上記で三ペンの売り買いその他云々が書かれてましたが、녀학생からのチョッパリへの流出がかなりあったと後に各方面の人々から耳に入った時はシヨック&ムカついた。

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